声を使うと同時に複数の人が意見を表明することができません。
誰かが話している間中、ほかの人間はずっと聞いていなければなりません。2時間しかないミーティング時間で、10人の参加者がいるとします。平均すれば、一人当たり12分づつの「持ち時間」があるはずですが、誰かが30分の熱弁を振るえば、かわりに二人の人が発言の機会を奪われます。長くしゃべる人は往々にして何度もしゃべる人であるので、被害はさらに拡大します。
何度も長時間話す人は、たいていは「私の思いは伝わっていない」と感じるものですから、同じ内容を何度も繰り返します(普段、彼/彼女の周りの人は、もう誰も耳をかさなくなっているのかもしれません。なので、発言を求められるミーティングでは、ここぞとばかりに発言するのです)。
その中身は、別段間違ってはいない「正義の表明」や「やるべき論」だったりするので、「それはちがうよ」と止めにくいものです。ですが、ほかの誰もが「もういいよ。そんなことはわかってるんだよ」と思ってうんざりしているので、あまり熱心には聞きません。そうするとまた、熱弁者は「私の思いは伝わっていない」と感じるものですから、同じ内容を何度も繰り返すことになります。みんなの貴重な共有資源であるミーティングの時間は、どんどん消費されていきます。
何度ミーティングをやっても、同じ人が同じ内容で熱弁をふるっているとなると、人々の足はミーティングから遠ざかります。そんなミーティングに出ても仕方がないですから。
ことによると、すばらしい成果をあげられたかもしれないボランタリー活動や団体が、こうしてたった一人の(しかもとりわけ熱意のもった)「熱弁者」のために、崩壊してしまいます。
複数の、少しばかり互いに意見の異なった「熱弁者」を抱える活動や団体も、一つ間違うとひどいことになります。
ミーティングとなるといつもいつも、かれら「熱弁者」同士のバトルとなって、どちらが正しいか白黒つけるまでほかの議題に取りかかれない(だから永遠に、中身のある議論がはじめられない)となれば、またしても誰も発言できず、誰もミーティングにやってこなくなります。
多くは彼ら「熱弁者」の意見の対立なんて、ほんのささいなもの、どっちでも変わらないと周りは思っているものです。